みなかみさん、こんな事例をみつけてくださったんですね!
ありがとうございます。
どうやって探してくださったのかと、感服しています。
私自身は、「万尺」は「アルプス一万尺」以外には知らなくて、当然「じゃく」だと思って生きてきましたので、今回、「しゃく」というNHKの資料を教えていただいて、びっくりしました。
NHKの『ことばのハンドブック』は、ときどき参考にさせていただいているのですが、「尺」については気づきませんでした。
「万尺寺」というお寺があるそうで、これは「まんしゃくじ」と濁らないようですね。
連濁の問題(多分連濁の話だと思っているのですが…)は、ほんとに難しいですね。
いろいろな法則が混在しているし、例外もたくさんあるようなので、すごくわかりにくい領域のようです。
その中でも、助数詞の清濁は、うまく理解ができません。
「n」のあとに来る音が濁りやすいのは、何となくわかるのですが、「3」のあとは濁るのに「4」のあと濁らないのは何故なのか、とか、同じ「s」の音でも、「升」や「寸」や「足」では、「千」「万」のあとは濁るのに、「尺」はどうして濁らないと言われるのか、にもかかわらず「尺」では「何尺」が濁るのは何故なのか、とか…、どこが違うのでしょう?
もちろん、理屈が先にあるわけではなく、発音しやすいように定まった現実がまずあるわけです。
それに対して、こんな法則がありそう、こう考えたらある程度当てはまるだろう、と説を立てていくわけでしょうから、実際の言葉が法則に合わなくても、法則同士の整合性がなくても、みんながこう発音しているんだからしょうがないじゃない?ということではあるんですよね。
「アルプス一万じゃく」がおかしいと主張しても無益ですし、その歌に引っ張られて「2万尺」「3万尺」が「じゃく」と読まれるようになったとしても、それはそれで、そういう流れなんでしょう。
過渡期なのかもしれませんし、ある意味、いつだって「過渡期」なんですよね?
「万じゃく」でもかまわないような気はしますが…。
すみません、無責任で個人的な感想です。