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[No.4683] 神仏の切れ続きについて 投稿者:sumakko   投稿日:2019/01/07(Mon) 23:06:18

皆さま 明けましておめでとうございます。
本年も、色々と質問をさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
さて、新年にちなみ、おめでたい?質問をさせていただきます。少し長くなりますがご容赦下さい。点訳中の作品に次の内容があります。
引用開始
 兵隊は上等兵が多く、一等兵は少なかった。上等兵以上は殆ど四年兵五年兵ばかりである「神様」と「仏様」が多くて、人間は少ないのだ。(中略)
「歩兵の給与はなっちゃいねえぞ!」
 と、関特演の神仏は、寝台に鎮坐ましまして、食事のたびに立ち働く梶たちに呶鳴り散らした。
引用終了
威張り怖れらている先輩兵士を、神様、仏様と表現しているのですが、その話の流れから、最後の行の「神仏」を、揶揄の意味を込めて「かみほとけ」と、読みたいと思っています。(神仏の前後に漢語があるので、「しんぶつ」と読んだ方が、いいかもしれまん。「かみほとけ」と読むのは、多分に主観的ではあります。)

この「かみほとけ」は、広辞苑でも見出し語になっているので、一語化されています。
また、名詞+仏という語は、石仏、喉仏、野仏、無縁仏等、多数ありますが、「かみほとけ」以外は「〇〇ぼとけ」と全て連濁していますし、神と仏のように、対等の関係の二つの語を並べたものはありません。
また、「かみ」は2拍の和語だと考えられますし、「かみ」と「ほとけ」の間に発音上の切れ目が(若干)あるような気もします。
判断要素が多くて迷っているのですが、対等の二つの語で、発音上の切れ目を考慮して、切れ続きは「かみ■ほとけ」とするのがよいのでは考えています。
皆さんのお考えや、実例等を御教示ください。よろしくお願いします。


[No.4684] Re: 神仏の切れ続きについて 投稿者:えむ  投稿日:2019/01/09(Wed) 13:27:30

明けましておめでとうございます。
このコーナーは、みなさまから確実な情報をいただけることもあるのですが、いつも正答が得られるというわけでもなく、話が中途半端だったり、納得できない結果になることも多々あると思います。
でも、興味深いご質問・問題提起もたくさんいただけますし、そこからいろいろな発展もあるのではないかと思っています。
とにもかくにも、ひとえにみなさまのおかげで続けられています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

「かみほとけ」は、なんだか微妙な言葉ですね。
『広辞苑』『三省堂国語辞典』には見出し語として載っているんですが、『大辞林』にはありません。
他の辞書を当たっていないので申し訳ないのですが、複合語として1語になっている度合がほんのちょっと弱いのかな、載せるかどうかギリギリのところなのかな、と思いました。(邪推かもしれません)

2拍の和語と3拍以上の同義語・類似語や対義語を並べた複合語、というのを少し考えてみましたが、わずかしか思いつきませんでした。
「いえやしき」「ちりあくた」「べにおしろい」は、辞書の見出し語にあり、「ナビ」でも続けていますね。1語になりきっているという感じでしょうか。
「みずしらず」もそうですが、品詞が違うのかもしれないので、同列に扱っていいかどうか…。
「ゆめまぼろし」「たみひゃくしょう」は、辞書の見出し語にありますが、「ナビ」では切っています。長さの問題でしょうか? いや、「べにおしろい」だって長いですよね。
「とみこうみ」は長くないけれど切っています。発音上の切れ目の有無でしょうか?
「あめあられ」「いぬちくしょう」「からてんじく」は辞書の見出し語ですが、「ナビ」には収録されていないようです。
見出し語にある「うらおもて」「まえうしろ」「みぎひだり」は続いて、見出し語にない「にしひがし」は切れていますね。そこは順当でしょうか。
「うそいつわり」は辞書の見出し語になく、「ナビ」でも切れています。1語になっていないのでしょうかね。
まだまだたくさんあるはずですが、すみません、これ以上何も思いつきませんでした。
私の頭では、はっきりした基準は見えなかったのですが、でもなんとなく、複合の度合、1語になりきっているか、ということなんじゃないかと思います。

そこで「かみほとけ」ですが、すごく一般的に言えば続けそうな気はするんです。
ただ、書いていただいた文脈で読んでみると、確かに切っていいように思います。
きっとこの言葉、使い方によっては、「いえやしき」ほどの強固な結びつきはないような…。
ひとつの言葉でも、使い方や周囲の環境によって、点字での表記の仕方は違ってくる場合はあっていいと思っています。

もちろん、いろいろなお考えがあるだろうと思いますので、是非お聞かせください。


[No.4685] Re: 神仏の切れ続きについて 投稿者:sumakko   投稿日:2019/01/10(Thu) 15:52:18

えむさん、色々調べていただきありがとうございます。
私も手元にある辞典類で「かみほとけ」について調べてみました。見出し語になっているのは、国語大辞典、なっていないのは、福武国語辞典、旺文社国語辞典でした。同じ三省堂でも新明解国語辞典は見出し語になっていません。(新解さんの謎ですね)
見出し語の多さとしては、大辞林>三省堂国語辞典のはずですので、見出し語の多さは関係なく、編集者の考えによるのですかね。
2拍の和語と3拍以上の同義語・類似語や対義語を並べた複合語を色々探していただき、ありがとうございます。私も探してみました。(一つだけですが)「ふえたいこ」はいかがでしょう。表記辞典、ナビとも切れています。ナビの用例では「数5ニンバヤシノ■フエ■タイコ」が掲載されています。
「かみほとけ」は表記辞典にもナビにも項目がないので、えむさんの言われるように「ひとつの言葉でも、使い方や周囲の環境によって、点字での表記の仕方は違ってくる場合はあっていい」のでしょうね。「かみほとけのはからい」とか「かみほとけに祈る」とかの使い方の場合は続くような気もします。今回の質問のケースでは、前の部分に、『「神様」と「仏様」が多くて』という部分があり、その気分をひきずって、「関特演の神仏は」を「関特演の神(様)仏(様)は」的に内心は読んでいるのだと思います。そのような理由で、今回は「かみ■ほとけ」と読みたいです。
他の方の御意見も是非、御教示ください。


[No.4686] Re: 神仏の切れ続きについて 投稿者:えむ  投稿日:2019/01/15(Tue) 09:47:39

なるほど、「ふえたいこ」ですかぁ。
これは、複合語というわけではない、ということなのでしょうね。
「かね」と「つづみ」でもよかった、というレベルなのかもしれません。
雛祭りの歌で、「ふえ」と「たいこ」のセットがたまたま有名になってしまった、とか?

あといくつか思い浮かびました。
「ひるひなか」は『表記辞典』「ナビ」が続けると言っています。
「ここかしこ」は切るそうですね。
「俺お前の間柄」はどう考えても複合語になっていないと思われる(辞書の見出し語にもない)例です。

どのへんから複合語と認定されるのか、ほんとに難しいですね。


[No.4687] Re: 神仏の切れ続きについて 投稿者:sumakko   投稿日:2019/01/19(Sat) 14:49:25

探せば色々とあるものですねぇ。(私は一つしか探せませんでしたけれど)
2拍の和語と3拍以上の同義語・類似語や対義語を並べた複合語で、文脈によって、切れたり、続いたりする例があるのでしょうか。
2拍+2拍では、赤白という語句があるのですが、この語句は、日本語大辞典、広辞苑、その他の手元の国語辞典には掲載がなく、表記辞典にもありません。単に語句の羅列ということでしょうか。
ナビには、赤白対抗→アカ■シロ■タイコー、赤白帽→アカシロボー 赤白鉢巻き→アカシロ■ハチマキの例がありますが、裏と表が赤と白になっているリバーシブルの帽子等のみ続けているようですね。(これ以外に赤白硅石という、赤と白がまだらになった硅石があるそうですが、これは固有名詞なので続けないといけないのでしょうね)

例に挙げていただいた、「うらおもて」「まえうしろ」「みぎひだり」などは、服や靴をあべこべに着たり、履いたりする意味があります。
「裏表に着る」「前後ろに着る」(どちらもナビでは続ける用例あり)、「靴を右左に履く」
という使い方をしますが、この場合は続けるのでしょうね。
手引きの70ページに「棒線・点線の前後ろは一マスあけてかくが、(以下略)」とありますが、この場合の「前後ろ」は、やはり続けるのでしょうか。切ってもよいような気もしますが、「まえうしろ」と続けても、「まえ及びうしろ」が含意されていて、表記辞典通り続けるのでしょうか。(点訳者の判断で、切ったり続けたりすると、表記辞典の意味がなくなってしまいますが)
「みぎひだり、よく見て横断」はどうでしょう。
考えれば考えるほど、分からなくなってきますね。


[No.4693] Re: 神仏の切れ続きについて 投稿者:えむ  投稿日:2019/01/23(Wed) 21:50:27

もう少し思いつきました。(…と、こんなことばかりして遊んでいます)

「かげひなた」というのはどうでしょう?
「ナビ」には載っていませんが、「かげひなたない態度」などは、きっと続けるのでしょうね。

もしかすると「うきしずみ」も仲間になれますか?
これも続きそうですね。

「赤白」は、そうですか、切る場合と続ける場合があるんですね。
確かに、書いてくださった用例を見ると、なるほどこれは切れそう、こちらは続きそう、と、違いがわかる気もします。

「右左」も、「右左逆に履いている」なら続きそうですが、「片方ずつ、右左の順で脚を上げてください」だと、切ってもいいような気はします。
「右左、よく見て横断」は、ちょっと微妙ですね。
「両方見て」というふうに考えれば、続けていい気がしますし、片方ずつしっかり確認する感じなら切っていいような気も…。
「棒線・点線の前後ろ」も、そんな感じですね。

同じ字面でも、そこから読み取れる筆者の視線みたいなもの、それによってイメージされる絵は単一ではないと思います。
それで切りたいとか続けたいとかも違ってくるはずです。
そこまでやってこそ、伝えたいことが伝えられる、とも言えるでしょうか。

ただ、そういう微妙な書き分けをすることがどのくらい許されるのか、表記のルールをそこまで細かくすることが現実的なのかどうか、よくわかりません。
でも、許容範囲として認めてはいただけると嬉しいな、と思っています。


[No.4694] Re: 神仏の切れ続きについて 投稿者:えむ  投稿日:2019/01/23(Wed) 23:28:02

すみません。
「かげひなた」は「ナビ」にはありませんが『表記辞典』にありました。
続いていました。
『表記辞典』に載っている言葉は「ナビ」にもあるのかと思い込んでいたんですが、採用されていないものもあるんですね。


[No.4696] Re: 神仏の切れ続きについて 投稿者:sumakko   投稿日:2019/01/24(Thu) 20:17:08

私も探してみました。(といっても今まで挙がったものを参考にしただけですが)
鉦太鼓  (広辞苑には慣用句で掲載 表記辞典無、ナビ無)
夢うつつ (広辞苑掲載、表記辞典 ユメウツツ 夢幻は切りますが)
雲霞   (広辞苑掲載 表記辞典無、ナビ無)
泣き笑い (広辞苑掲載 表記辞典無、ナビ無)
浮き沈み (広辞苑掲載 表記辞典無、ナビ続ける)
敵味方  (おっと、敵は和語ではないですよね)

それはともかく、
>同じ字面でも、そこから読み取れる筆者の視線みたいなもの、それによってイメージされる絵は単一ではないと思います。
>それで切りたいとか続けたいとかも違ってくるはずです。
>そこまでやってこそ、伝えたいことが伝えられる、とも言えるでしょうか。

全く同感で、我が意を得たりの思いです。
読み方、マス空けの違いで、イメージは大分、違ってきますよね。
普通の読書では流し読みですが、点訳では一語、一語、気をつけて読むので、どなたかも以前書いておられたと思いますが、深く読めている気がします。(点訳のご褒美ですね)
これからも、色々と質問をさせていただきますので、よろしくお願いします。