私も全然わかりませんが、ちょっと思いついた勝手なことを書いてみます。
とりあえず、『Q&A』に書かれている「独立の動詞であれば前を区切って書く」ということだけを考えてみようと思います。
「独立の動詞」というのは、「女御更衣あまた候ひ給ひける中に」とか「いかなる所にか、この木は候ひけむ」のようなケースですね。
「独立の動詞」かどうかだけで見れば、「おどろかれ候」の「候」はそれには当てはまらないと思います。
ですから、続けて書くことは当然のような気もします。
ただ、「独立の動詞」の場合の例として挙げられている「実現■いたしたく■候」「申すべく■候」を見てしまうと、すっかりわからなくなってしまうのですが…。
『Q&A』が、続けるケースとしている「動詞の連用形に続いている場合」には、形容詞の連用形や助動詞の連用形は含まれないのでしょうか?
「独立の動詞」の反対概念としては、これらが含まれていいように思うのですが。
いちごさんがおっしゃるように、「おどろかれ候」は、助動詞の連用形に続いているわけで…。
「これあり候」についても、よくわかりません。
この場合の「候」は、なんだかほとんど意味を持っていないように思います。
「これあり」だけで充分じゃないか、と思ってしまうのは、私が文語を理解していないからかもしれませんが、もし万一、単に語調を整えるためだけに付けられている「候」だとしたら、前の「あり」は連用形ではなく終止形で、そこで話は終わっているんだけれど、格好を付けるためにちょっと「候」を加えてみました、という程度のことなんじゃないか…とか。
つまり、動詞などの連用形に続くというのは、その動詞との結びつきがある、意味的にも前の動詞を受けている、ということですが、「これあり候」の場合、そういう結びつきはないんです…というのは無茶な話でしょうかねぇ?
すみません、何の根拠もない、世迷言の類です。