的外れかもしれませんが、
「〇〇ふう△△」というように、「ふう(風)」が入る語句は、
そこでいったん切れ、「〇〇ふう△△」は一語ではない、
といったようなことではないでしょうか?
「女学生風」とか「紳士風」とか、〇〇的な、を意味する
「風」は、下にどういう語句が続いても、拍数に関係なく切る、
ということかと思うのですが、いかがでしょうか?
鰹節出汁(かつおぶしだし)は、鰹出汁(かつおだし)と
同様に、和語の「出汁」が2拍ですので、
一語であれば続けることになります。
一語かどうかは、辞書の見出し語になるとか、いろいろ考え方、
捉え方はあると思いますし、絶対的な分け方も
たぶんないだろうと思うのですが、少なくとも
「○○風△△」よりは、「かふおぶしだし」や「さけぶしだし」は
一語になっているように思います。
例えば、「蕎麦」という語句は、和語の2拍語なので、
「更科蕎麦」とか「手打ち蕎麦」「年越し蕎麦」などは、
続けるようなのですが、
これが、「手打ち風蕎麦」だとか、「カリフォルニア風蕎麦」だとか、
「中華風蕎麦」になったら、「テウチフーソバ」
「カリファルニアフーソバ」「チューカフーソバ」と点訳はしないと思います。
やはり「風」のあと切るのではないかなあ・・。
しかし、「風」がなく、「手打ち蕎麦」「カリフォルニア蕎麦」(そんなのがあるかどうか、
知りませんが)、「中華蕎麦」になったら、それらはものの名前ですので、
一語として続けるのではないかと思います。
舌足らずな説明ですみません。