みなかみさんがおっしゃるように、自立しているかどうか、だと思います。
ただ、その自立性の判断が少しずつ変わってきているのでしょうね。
ずっと以前は、「経済学者」も「物理学者」も続けていました。
「経済学の徒」という意味なのだから、「経済学」というまとまりは切れない、ということだったと思います。
それが、36〜7年前、「経済学者(経済学+学者)」「富士山頂(富士山+山頂)」など、複合語の前の部分と後の部分で1つの字を共有する言葉について、前の言葉にその字を付けなくても意味が伝わるのなら、その前で切ろう、ということになったのですが、そのときにはまだ、「英文学者」は切れない、というか、切るのが適当でない、と言われていました。
「英文学者」は「英文学の研究者」のことで、「英文(英語で書かれた文)の研究者」ではない、「英文学」と「英文」は全然違う、「エイブン■ガクシャ」と切ると意味が違ってしまう、ということだったと思います。
それがだんだん、切っても誤解はしないんじゃない?ということになってきたのでしょう。
『表記辞典』は出版時にはまだそこまで踏み切っていなかったのでしょうが、「点訳ナビ」はどんどん更新されるので、新しい傾向・潮流が反映され、今は「エイブン■ガクシャ」でもいいことになったんですね。
変化の方向性としては、そんな感じです。
「経済学者」や「富士山頂」を切るなら、同じ理屈で「英文学者」を切ってもいいだろう、ルールは汎用性が大切、ということなのでしょう。
「考古学」については、確かに「経済」や「歴史」のように、「考古」を単独で使うケースは多くはないのですが、でも「考古資料」「考古館」など、「考古学」以外の熟語もあることから、「考古」には自立性がある、「考古」と「学者」に分けても大丈夫、ということだと思います。
それに対して、「生化学」「法医学」は、「生+化学」「法+医学」であって、「生化」「法医」のまとまりは認められない、ということでしょう。